尾山台今昔物語_2320050228

尾山台小学校の歴史を調べてみました
子どものころの友人やいろいろな経験は年を経ても大変貴重な思い出として残ります。
戦前ののどかな時代
戦争の悲惨な経験
戦後のベビーラッシュから少子化時代へ

世の中の大きなうねりを感じました。

現在の尾山台小学校の正門

尾山台小学校の正門校章

校章の由来は初代校長海老原一先生の考案で曲玉の玉は玉川小学校、曲玉が8つあるのは八幡小学校を表す。この二つを1本のひもで堅く締め両校の児童の結束を表しました。

戦前ののどかな時代

昭和13年(1938)1月 尾山台尋常(じんじょう)小学校 開校  
開校時_8学級_8教室_児童数248名でした。

開校当時尾山台小学校の校舎
(尾山台小学校60周年記念誌から)


戦争と子どもたち「学童集団疎開」
昭和16年(1941) 尾山台国民小学校に学校名変更    
昭和19年(1944) 8月 学童集団疎開出発(新潟県湯沢村)

尾山台小学校(当時、尾山台国民小学校)の生徒男女238名(一部資料では213名)が、新潟県湯沢村(現在、湯沢町)に昭和19年8月29日から昭和20年11月4日まで「学童集団疎開」をしました。疎開先は記録から「井仙館」「松月館」「吉広館」「熊野館」「西仁館」「稲元館」「広川館」「観光ホテル」の8軒の旅館に分散しました。幼い子どもが親と離れ、厳しい寒さと食糧事情は最悪で悪夢のような生活は今も語り継がれています。


↑疎開先の尾山台小学校児童
(尾山台小学校60周年記念誌から)
昭和19年8月 3年〜6年生児童
・新潟県湯沢に学童疎開

↑尾山台国民学校
学童疎開の記録資料
(昭和19年9月2日現在)
学童疎開先一覧表

戦後の食料難時代

↑昭和21年5月末区内小学校の欠席状況 欠席の理由は食糧事情が多かった

昭和22年(1947)学校給食の開始

↑学校給食の記録「代沢小学校給食の献立」
尾山台小学校はこれより早く実施しました。内容は同じです


昭和22年(1947) 世田谷区立尾山台小学校と校名を変更
昭和27年(1952) 九品仏小学校開校にともない分離(児童数284名)
昭和30年(1955) 等々力小学校開校にともない分離(児童数158名)
          このとき児童数は1400名を超えていた。
昭和33年(1958) 現在の玉堤の地に尾山台小学校分校設置
昭和36年(1961) 分校が「玉堤小学校」として独立
昭和63年(1988) 開校50周年記念式典・祝賀会

創立50周年記念誌「おやまだい」の表紙
 
平成11年(1999) 尾山台小学校おやじの会設立
平成15年(2003) 開校65周年記念集会


平成17年2月18日、
尾山台小学校の給食です

「いただきま〜す!」
楽しい給食、今日のメニューは
「みそ煮込みうどん、レーズンケーキと牛乳」
試食させたていただきました。
味とボリュームは大変満足でした。
給食の献立は栄養士さんが1ヶ月分を計画し栄養・カロリーのバランスをとりながら様々な食材で献立を計画し校内調理室で調理します。ご飯の給食は週に2回の和風の献立。給食は児童に人気です。

取材協力  尾山台小学校
参考資料  昭和21年5月の区内小学校の欠席状況  世田谷区教育委員会
______世田谷区まちなみ形成史        世田谷区
______おやまだい 創立50周年記念誌    尾山台小学校
______おやまだい 創立60周年記念誌    尾山台小学校

『尾山台今昔物語』プロジェクト 担当 =M