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| 尾山台今昔物語_2220050214 ■世田谷の災害の歴史と防災 近年、水害・震災・台風などの自然災害は、幸い玉川地区はここ数十年大きな被害はありません。しかし「必ず、いつかは来る自然災害!」 災害に強い街づくりを皆さんと一緒に考えましょう。 ■関東大震災 大正12年(1923)関東大震災では大きな被害は受けませんでした。世田谷の地域の6町村で死傷者・行方不明者合わせて20名、家屋の被害全・半壊合わせて約160戸で、資料によると玉川村では7戸の家が崩れました。東京の中心地や横浜市内の被害と比べると軽微といえます。 大正12年(1923)9月1日の関東大震災記録写真から
世田谷地域は市街化が進んでいなかったためにまだ農村で人口が少なかったことと、農作業に出て自宅で火を使っていなかったため、火事が1件も起きませんでした。 震災後、被災者が東京市内から移住し人口の増加が進みました。相次ぐ郊外電車の開通と昭和に入ってから人口の増加、都市化が進みました。 ■戦災 太平洋戦争の末期には、世田谷区内でも空襲の被害を受けました。区内全体では昭和19年11月からで、罹災世帯約11,000世帯、罹災者数約43,000人を数えます。昭和20年(1945)3月以降延焼防止や避難路確保のために家屋の強制疎開(取り壊し)が実施されました。鉄道沿線や駅等重要施設付近の家屋約2,000棟が対象でした。 ■水害 多摩川を始め、河川の氾濫により、世田谷でも水害に見舞われたことがしばしばありました。明治43年(1910)8月の洪水による被害が大きく、利根川等の河川も氾濫し東京全域にわたって被害が報告されています。
多摩川の改修工事が大正7年(1918)〜昭和8年(1933)に行われ連続堤が設置されました。急激な宅地化に伴い河川改修工事が進み区内の浸水箇所は目立って減りました。 戦後は下水道が完備するまで尾山台駅や等々力駅周辺では台風などの大雨で出水し線路が冠水し電車も止まったことがありました。現在はまったくありません。 ■世田谷区役所が配布した「災害時区民行動マニュアル」で準備しよう! 平成16年年末に世田谷区民全戸に「災害時区民行動マニュアル・マップ版」が配布されました。皆さんで話し合って来るべき災害に備えましょう。 しかしいつ来るか分からない自然災害、特に震災には備えをすると同時に近隣の方との話し合いが必要ではないでしょうか。 ●「防災メモ」に記録し、防災マップで避難先を確認しましょう ●家具や電気製品の転倒防止(茶だんす、テレビ、冷蔵庫、鏡台・・・) ●出口の確保:地震で玄関ドアが開かないことも? ●ガスの地震時に自動遮断装置がお勧めです ●電源ブレーカーのあるところを確認してください ●非常用物品の準備と保管場所を検討する ●災害時の必要な情報の入手(ラジオ、インターネットなど) ●地域の助け合いネットワークを推進しましょう などの確認をしましょう。 ■新潟県中越地震を目の当たりにしました 小千谷市へ親戚の震災見舞いに行ってきました。 被災時にはあまりの強震で家屋から脱出することが精一杯で、非常袋を含め何一つ持ち出すことはできませんでした。罹災者がまず必要なものは「水」と「食料」で、丸一日救援が来るまでつらい思いをし、そしてトイレが思うように使えず大変な思いをしました。3日目からは全国から救援の手が届き不自由していたことが急に減って行ったそうで。避難勧告が1ヶ月続き、小さな避難所では解除されるまで1部を除いて入浴できなかったようです。
■おやコム(尾山台コミュニティ) 2004年年末におやコム(尾山台コミュニティ)が発足いたしました。来るべき大震災に対して様々な自然災害に取り組んでいきます。地域の皆様のご参加とご協力をお願いいたします。 ■世田谷区のホームページの防災関係は http://www.city.setagaya.tokyo.jp/ から〔災害〕をクリックしてください。 参考文献 世田谷区まちなみ形成史 世田谷区 災害時区民行動マニュアル 世田谷区 |
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『尾山台今昔物語』プロジェクト 担当
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