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| 尾山台今昔物語_1720041115 ■尾山台周辺の古墳 尾山台の周辺はかなり昔から居住地として、また交通の要所として発達しました。そして多くの古墳があります。散策の折に歴史と古代生活にふれてみてはいかがでしょうか。 代表的な古墳を紹介します。※尾山台周辺の古墳の分布図はこちら (1)大塚(おおつか)古墳 帆立貝式古墳・・・【野毛1-25玉川野毛町公園内】 5世紀ごろ南関東で大きな勢力を持った豪族のお墓です。形はホタテ貝型の前方後円墳で、日本で三番目の規模のものと分かりました。 古墳の規模は、周濠を含めた全長104m、墳丘長82m、後円部直径68m、高さ10m、前方部幅28mです。前方部のすぐ脇に一つの造出部を持ちます。前方部と造出部は削平されていましたが、現在では、保存整備事業により復元・整備されています。 明治30年ごろ最初に発掘調査が行われ、そのとき人骨、石棺、副葬品など多数が出土しました。これらは現在国立東京博物館に収蔵されています。
(2)等々力渓谷第3号横穴古墳 横穴墓・・・【等々力渓谷】 等々力渓谷の周辺の古墳等々力渓谷東岸の崖面から、古墳時代末期から奈良時代にかけて構築された横穴墓が6基以上発見されています。中でも昭和48年(1973)に渓谷公園を造成のときに発見された3号横穴は、典型的な横穴墓の形態を留めていて、埋葬人骨、副葬品も良好だったことから保存処置が講じられました。 横穴墓は奥行きが13mで、徳利を縦に半裁したような格好をしています。 須恵器の平瓶、横瓶、金銅製耳輪などが出土しました。いずれも副葬品が豊富に出土したことから、後の武蔵国荏原郡の等々力周辺を治めていた有力者と推定されます。
(3)八幡塚(はちまんづか)古墳 円墳・・・【尾山台2-11】 宇佐神社から右側の細い道を登ると小高い丘にでます。この上に小さな社(やしろ)があります。この丸い塚が八幡古墳です。まだ調査が行われていないのですが5世紀後半から6世紀ごろのものと思われます。昔、玉堤地区は湧き水があり水田もあって古代の人が住み、その人びとの首長の墓と思われます。 残念ながら現在は古墳への立ち入りは禁止です。
(4)御岳山(みたけやま)古墳 円墳・・・【等々力1-18】 古墳時代前期に当たる5世紀後半の円墳の史跡です。直径42m、高さ7mです。大正6年(1917)に、この古墳から七鈴鏡が発掘されてから、一躍有名な塚になりました。その七鈴鏡は現在満願寺の所蔵となり、東京都指定の重宝となっています。御岳山は満願寺の所有で、山頂に古くから御岳権現の御堂がありました。 昔は、ここから東京湾まで見渡せたといいます。 御岳山の見学は、土曜、日曜(雨天を除く)の朝10時から16時まで開門です。
(5)狐塚(きつねづか)古墳 円墳・・・【尾山台2-17】 5世紀後半から6世紀のころの古墳です。この上に稲荷神社があったことからこう呼ばれています。西方には御岳山古墳があり、この近くの豪族の首長(かしら)のものだと思われます。古墳の直径は40mぐらいあったと考えられますが、今は道路や人家にけずりとられて、東西34m、南北30mになっています。 現在、階段を上がると公園となっています。多摩川方向の眺望は素晴らしいものがあります。大正8年(1919)まで狐が住んでいたといわれています。
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『尾山台今昔物語』プロジェクト 担当
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