尾山台今昔物語_720040628

「大山街道」道標石柱(参考資料:「てくたくぶっく」ほか)
等々力の北山谷(きたさんや=現在の等々力八丁目公園前の通り)も大山街道と呼んでいました。この道は、目黒方面からここを通って中町用賀通りを経て、国道246号線に通じる街道で、この道標や馬頭観音碑は大山街道の名残りといえます。大山街道はそのほか主要な通りとして、渋谷の道元坂から、また、世田谷の八幡神社からの通りも大山街道といい、二子玉川の渡しに出たといわれています。当時、橋はなく多摩川は渡し舟で渡りました。玉川福祉作業所(玉川1-7)前に「玉川の渡し」の碑が立っています。

■神奈川県伊勢原市への大山詣りの「大山街道」石柱。石柱は等々力7-22の角にあります。

■古い「大山街道」石柱と「馬頭観音菩薩」石碑があります。鈴木家(等々力7-13)が管理しています。
道路から見ることができます。

丸子川(六郷用水)のいわれ
六郷用水は慶長年間(1596−1615)に徳川家康の命をうけた代官、小泉次太夫(のちに川崎代官となる)によって、狛江市の和泉から多摩川の水を喜多見、岡本、瀬田、上野毛、下野毛、等々力、尾山の各村を経て大田区の六郷村にいたる農業用水約23kmを竣工させました。現在は丸子川、かつては六郷用水、彼の名にちなんで別名を次太夫掘ともいわれてきました。着工から竣工まで実に15年(1597〜1611)をかけました。

■拡幅工事中の目黒通りを丸子川の北側から多摩川方面を望む。最近、玉堤小学校前に信号機が設置されました。
将来は多摩川に架かる新しい橋が計画されています。

■丸子川の標識
 
■丸子川で鴨が子育て、小鴨4〜5羽を引き連れてお食事中。場所:尾山橋付近(撮影:平成16年6月14日)

『尾山台今昔物語』プロジェクト 担当 =M