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尾山台今昔物語

尾山台今昔物語 25

2005.03.28

尾山台周辺の歴史あれこれ

奥沢城跡(九品仏浄真寺)(奥沢7-41)
浄真寺が建てられる前はここに奥沢城(吉良家臣・大平氏の居城)がありました。お城といっても山の中に建てたものではありません。平地で後方は湿地で城のまわりは土を盛り上げてとりでにします。そのとりで=土塁のあとが今も残っています。
奥沢城跡の石柱
浄真寺山門脇・鐘楼の近くにあります。

中丸跡(等々力5-16)
中丸という地名は全国に多いのですが、丸という字はもともと城の内部という意味があり二の丸、三の丸などという名称もあります。 この地名について確かな言い伝えはありませんが、戦国時代の末期、今の九品仏に奥沢城が置かれ、大平清九郎という武将が城主であったことを考えますと城の外側の守りという意味から、この辺りが中丸と呼ばれたのではないでしょうか。
中丸跡(等々力5-16)

九品仏池(浄真寺境内の裏側)
昭和30年代の九品仏池、ボート浮かぶ憩の場所でした。
(奥沢7-51-15 安藤嘉信氏 写真提供)
区民の憩いの場所でしたが、渋谷東急文化会館が建設されたときの残土で池が埋められ、現在は住宅地に変貌しています。

豊田宗榮(明治の医師)と種痘証明書
明治14年5月17日の種痘接種証明書(豊田正雄氏の資料提供)
豊田兼吉氏(豊田正雄氏の伯父)に種痘を施す記録
八幡小学校創立、初代校医として記録されています

明治時代の地券
明治政府は土地の所有者に土地の私有を認めて地券を発行し,財政基盤を確立するために地租改正を行いました。この地券は土地所有の権利書で,土地所有者名・地目・反別・地価記載されており,これを元に一律に課税が行われました。
明治時代の地券証書 (豊田正雄氏の資料提供)

さぎ草の里
九品仏浄真寺の北側から自由が丘、緑が丘を経て呑川に続く九品川(古くはやなぎ堀といわれていました)は湿地が多く、サギソウはこのあたりに自生していました。 世田谷区の花になったサギソウの伝説は奥沢城主とも結びついています。 サギソウは浄真寺の鷺草園で見ることができます。開花期は7-8月。
さぎ草の里の石柱(奥沢7-4) 今では暗渠になり緑道です。

講の話
等々力は様々な講が行われていました。
長野善光寺講、大山講、御岳講、高王山講など種々の講ごとに参拝行事が行われました。
明治15年 高尾山講払簿(表)
同 (裏)

参考資料
  世田谷ふるさとめぐり「てくたくぶっく」    玉川地域活動団体協議会
  耕地整理完成記念誌「郷土開発」      玉川全円耕地整理組合
  創立50周年記念誌「おやまだい」       世田谷区立尾山台小学校

1年間「尾山台今昔物語」を担当しました。ご覧いただきありがとうございました。
「尾山台今昔物語」は今回で(更新は)一旦終わります。
この企画にご協力いただきました多くの方々に御礼申し上げます。
『尾山台今昔物語』 担当=M

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